今回紹介するのは、映画『プリティ・ウーマン』です。
本作は、単なるラブコメではありません。今回注目したいのは、主人公ヴィヴィアンが見せる「可愛さ」の種類です。
物語が進むにつれ、彼女の魅力が「作った可愛さ」から、内面からにじみ出る「凛とした可愛さ」へと深化していきます。
なぜ彼女は、これほどまでに変化したのか。
その過程にある「自立」の物語を紐解きながら、現代にも通じる可愛さの秘密を考察していきたいと思います。
映画「プリティ・ウーマン」のあらすじ

舞台はロサンゼルス。
実業家のエドワードは、偶然出会った娼婦ヴィヴィアンを、一週間限定の「エスコート役」として雇います。
住む世界の違う二人が、高級ホテルでの生活を通して次第に心を通わせていく…。
高級ホテルでの生活、不慣れなマナー、そして自分とは住む世界が違う人々との交流。
物語が進むにつれて、彼女の装いは次第に洗練されていきます。それに伴い、「他者への向き合い方」まで徐々に変化し始めます。
彼女の心情に、一体どのような変化が起きたのでしょうか。
映画「プリティ・ウーマン」ヒロインの可愛さの変化
ここから、映画「プリティ・ウーマン」のヒロイン、ヴィヴィアンの可愛さの変化を紐解いていきます。
初期・中期・後期の3つの段階でそれぞれ解説します。
「プリティ・ウーマン」初期での可愛さ

序盤のヴィヴィアンは、娼婦という職業柄、「作られた可愛さ」を演出していました。
過酷な環境で生き抜くための生存戦略が必要だったからです。
金髪のカツラや露出の多い服。そしてわざとらしいほど明るい振る舞い。
これらは自尊心の低さを象徴しています。自分を「週300ドルの商品」と割り切ることで、親友キットと共に傷つきやすい自分を守っていたのです。
「プリティ・ウーマン」中期での可愛さ

一方、中期のヴィヴィアンは、作られた可愛さが影を潜め、「自立した美しさ」が際立っていきます。
彼女は、エドワードとの交流や、ホテルの支配人から「一人の女性」として扱われる経験をします。
その結果、彼女の中から安易な「可愛さ」が消え、代わりに「静かな美しさ」が芽生え始めました。
カツラを脱ぎ、地毛の赤毛を晒して高級なドレスに身を包む。
ここで重要なのは、外見の豪華さというよりも、彼女の内面の変化です。媚びるような笑顔が消え、自分を安売りしない態度へと変わっていく。
この「可愛さが影を潜める」過程で、彼女は自立した美しさを手に入れるのです。
「プリティ・ウーマン」後期での可愛さ

そして、後期のヴィヴィアンは、派手さが無くなり、内側から滲み出る可愛さが出てきます。
エドワードとの交流を通して、自分を愛せるようになった余裕が、「他者への優しさ」となって表れてくるのです。
物語のラスト、彼女は手元にある全財産を親友キットに渡し、「あんたならできる」という言葉と共に立ち去ります。執着を捨てて、未来を切り拓く決意をしたヴィヴィアン。
このシーンの彼女は、身近な可愛い存在となっていました。
映画「プリティ・ウーマン」宝石箱のアドリブ

ヴィヴィアンの「可愛さ」が観客を虜にしたのは、エドワードが指輪の箱で彼女の手を挟もうとした瞬間です。
あのシーンは台本にない「アドリブ」でした。演技や計算ではなく、彼女の内側から溢れ出た「素の可愛さ」が、映画のワンシーンとして成立してしまったのです。
ネックレスは店からの借り物。本来なら「借り手と貰い手」というシリアスな場面です。
彼のいたずらを、彼女が笑い飛ばした瞬間。
あれは計算された演技ではなく、ジュリア・ロバーツ自身の予期せぬリアクションでした。
このアドリブは、ヴィヴィアンが手に入れた『自然体な可愛さ』を表現した象徴的なシーンになりました。
当時、撮影に疲れていたジュリア・ロバーツ。リチャード・ギアによる機転の良さが、彼女の可愛さを上手く引き出している印象を受けました。
映画「プリティ・ウーマン」ヒロインの可愛さの変化|まとめ
映画『プリティ・ウーマン』が長く愛されているのは、ヴィヴィアンの変化の中に、自分自身を見つめ直すきっかけがあるからです。
本当の「可愛さ」とは、誰かに見せるためのものではなく、自然とにじみ出る「その人らしさ」だと感じさせられました。
「可愛さ」の定義を、他者の視点から自分自身の内面へと取り戻す。
ヴィヴィアンが示した「自立した可愛さ」が、時代を超えても色褪せない、プリティ・ウーマンという物語の真の輝きと言えるでしょう。
こちらが『プリティ・ウーマン』についての考察動画です。4分ほどでコンパクトにまとめているので、良かったら覗いてみてください。



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